僕がなによりも傾聴を大切だと思った理由⑥

 

こんばんは、しがです。

骨抜きにされた日の翌日、逆にインタビュアーになって、彼のこれまでの道のりを聴くことにしました。

英語なので、わからない部分もありましたが、精一杯、一言一句聴き漏らさないようにして、彼から出てくるものを追いかけました。

・酒呑みでたびたび暴れるどうしようもない父がいたこと

・家事をするのもたいへんなほど病弱な母と幼い妹のこと

・家族に働ける人がいなかったので、家計のために8歳から市場で必死に働いていたこと、勉強も同じくらいやったこと

・生まれつき、視力が低く、生活で苦労したが、今は支障がないこと

・クリスマスにお母さんとローカルバスで渋滞の中、何時間も揺られて、ファ×××(汚い言葉)と言い続けた日の笑い話

・貧しい場所で生まれたけれど、その場所に生まれたおかげで、英語を話せること、それでたくさんの人に英語を教えられること、それはとてもとても幸せなこと

 

節々から、彼には甘えがなく、どんな苦境でも生きていく強さがあることがわかりました。

風貌からはその苦労がしみ出ていないだけに、ひたすら驚いて、後手にまわってしまい、

今振り返ると、共感の難しさに加えて、あいづちのタイミング、聴く側の姿勢、いいかえの言葉の選び方など、できていないことも多々あり、うまく吸い出すことができませんでした。

 

一方で、前日の彼の傾聴には、声、姿勢、距離、空間、時間などの傾聴の基本的な要素が整っているように思え、

さらに凄いのは、絶妙な言葉選びによる共感のみで、創造的なアドバイスは一切なかったことです。

彼の傾聴がとてつもなくうまいのは、

彼は常に安定していて、決してブレない強い芯があることと、

カウンセリングの勉強はしていないそうなので、何千人もの多種多様な生徒に真剣に向き合って英語を教えていた経験によるものだと思いました。

何度思い返しても、あの時間は、吸いとられるように話しを聴いてもらっただけでした。

それでも、話しを聴いてもらっただけで、やるべきことが浮き彫りになり、

あとは、浮き彫りを実践するかどうかは、自分の意志次第というところまで、動かされました。

答えは聴き手からもらうものではなくて、自分自身で出すものという導きがそこにありました。

 

聴き手として、資格の有無、年齢(彼は28歳)はあまり関係ないと思いました。確かにそれらは勉強量や経験の目安になるかもしれません。

それよりも、聴く側の資質として、大切なことは「安定していること」だと、リッキーと接して思いました。

もうひとつは、聴き手の意見を押し付けない事。

つまり、主観を除外して、バイアスをかけずに、話しをちゃんと聴いてくれる人であること。

 

最も大切な要素である、「安定」とは、自分の姿をよどみなく安心して見つめることができる鏡なんじゃないかなと思いました。

 

これが、人生において、ちゃんと傾聴をしてもらった初めての体験でした。

確かに体重は減りましたが、それ以上に物理的何かが減ったような身軽さを感じることができました。

傾聴において、リッキーとは、いまだに歴然たる差があると思います。ただ彼の背中を追いかけるのではなく、自分独自の安定というものをこれからもつきつめたいと思います。

 

安心したいとき、整理したいとき、進めないとき、

家族、友達、同僚、師など、周りの中で、話しをちゃんと聴いてくれる人を探してみてください。

もし、いなかったら、そのときは電話サービスで自分に合う相手を探してみるのも良いと思います。

一枚の写真

こんばんは、関沢です。
雨が続くので、今回はそんな気分を変えてくれる一枚の写真をご紹介します。

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この写真は神奈川県横須賀市の立石公園という場所の「立石」という岩です。

 

小さく写っているのは人。岩のサイズは高さ12m、周囲約30m。

 

立石公園は、通学路の途中にあったため子供の頃から眺めて育ちましたが、遠く離れた場所に住み年に数回実家に帰った際に眺める今の方が、その存在感をより感じます。

 

この日の海は大荒れで、白く泡立っている海水は普段であれば穏やかに透き通っています。

 

そしてちょうど引き潮のタイミングだったため、ゴツゴツした岩が海面のところどころに顔を出していますがこれも普段であればもう少しおとなしくしています。

 

雲は少々残っていますが真っ青に広がる空

普段は海に隠れる部分も覗かせてくれる一枚岩

荒れに荒れ白波を立てながらも
水平線には淡いグラデーションを見せてくれる海

 

雨や突風、台風程度のことでは一切動じず
あるがままを受け入れるその姿
強く大きくどっしりしているその様を眺めると
自分のこと、悩んでいること、残念なことは
小さな小さなものなのかなと
自然の前ではじわじわ感じてしまいます。

それが子供の頃より今の方が
「立石」の存在感を強く感じる理由のようです。

 

日常に疲れたとき
解決できない悩みを抱えているとき
残念な出来事があったとき
そんな自然に触れてみることも

ときには必要なことかもしれません。

 

本日のブログは以上です。ありがとうございました。

僕がなによりも傾聴を大切だと思った理由⑤

 

こんばんは、しがです。

前回の続き。

先生の名前はリッキー。

初対面なので、名前、年齢、趣味、職業、簡単な自己紹介を済ませる。

リッキーとの授業初日のはじまりは、写真を見て、どう思うかというものでした。

写真には、一面に空が広がっていて、上部に雲があり、その雲の割れ目に向かって地上から階段が続いています。その階段をかけあがっている人間が1人。

リッキー「これを見てどう思う?」

しが「先の見えないゴールを目指す人間で、決してゴールまであきらめない。」

リッキー「どうして?」

しが「天まで伸びている階段の先端が見えないので、先の見えないゴールとしました。いったん動き出したら途中であきらめるのは嫌だから。」

リッキー「素敵!素敵!」

という感じで、他の写真をもう何枚か見て、どう思うかのやりとりを繰り返した。

なるべく、どんな写真もポジティブに考えて、答えを出した。

その都度、リッキーは僕の答えに対して、笑い話を交えながら、共感してくれた。

このわずかな会話のキャッチボールで、リッキーには僕の何かがわかったようだった。

リッキー「生きててしんどくないか?」

彼が過去の経験や統計のようなものからそれを察知しているのか、感覚で察知したのかは、僕にはわからなかった。

ただ、彼の聴く力はとてつもなく凄いことだけは伝わってきた。

1畳くらいの狭い部屋の中、小さな机を挟んで2人だけの空間。

僕が話しをしている間、彼は瞬きもせず、笑顔でもなくシリアスな顔でもない丁度良い中間の顔でうなづく。

時折、感情の部分に対しては大きな手の振りでうなづいてくれる。

僕の発する言葉を大きくて柔らかいスポンジが一滴も漏らさず受け止めてくれるかのような感覚だった。

彼は聴く力に特化しているだけではなかった。

僕が言ったことに対してのいいかえでは、ユーモラスでわかりやすい言葉に置き換えられ、自分の言葉が良い塩梅で自分に突き刺さる。

ただし、先端が丸みのある言葉のような感じがしたので、突き刺さりはしない。

まさに彼はミスのない精密な鏡。

誤差なく丁寧に反射してくる。

ちゃんと聴いてくれてるからこその芸当だと思った。

最も印象に残っているのは、声。

耳に残る声というよりは脳に直接残るような声という感じがした。

それはおそらく彼の持って生まれた声の質かもしれない。

彼のしゃべる英語はネイティヴに近い早さなのに、頭に残る声により、意味が理解しやすかった。

ジョークを言うときは若干高くなるが、一定していて低くて甘い。

声が安定している。声によどみがない。声を信用できる。

声という最強の剣と傾聴という最強の盾を交互に使いこなされ、絶対に誰にも言いたくなかった自分の秘密ゾーンに足を踏み入れられ、自発的にすべてを話した。

ずっと背負ってきた重いものがなくなり、整理整頓され、身も心も軽くなった。

「これまで、よく頑張った」と言われ、さらに軽くなる感じがして、涙はえんえんと流れ続けた。

彼は抱擁してくれた。

ただ英語のレッスンを受けに来ただけなのに。

今この瞬間を外から見られたら、気まづいなとは思った。

続く

ドビュッシー「月の光」

こんばんは、関沢です。

今日はあいにくの雨ですが、最近とても好きになった曲をご紹介します。

 

僕は今までほとんどクラシックを聴いたことがありません。

周りで聴く人がいなかったこと
他のジャンルの方が馴染みやすかったこと
聴いてもピンとこなかったこと
どこから聴けばいいか分からなかったこと

聴かない理由を探すといくらでも出るのですが、一言でいうと「聴かず嫌い」ということに尽きます。

 

そこで今回聴いたのはドビュッシー「月の光」

 

とても好きになり、何度も繰り返し聴きました。一つの曲を好きになると、繰り返し聴く癖がありますが、今まで聴いたどんな音楽とも異なる気持ちになり、同時に今まで聴かず嫌いをしていたことを強く後悔しました。

 

夜、少しだけ照明を落とした空間で
そっと耳をすませると聴き取れる音量で
静かな旋律で始まり
曲が進むに従って
テンションはどんどん上がっていき

またその流れは
のびのびと、清々しく、優しい音を奏で

後半の最後の最後まで
圧倒的なその世界観に引き込まれました。

 

今回はしとしとと降る雨音がバックミュージックとなり、より心は柔らかく緩やかな状態に導かれていきました。

 

最後に、この曲のきっかけとなったのは、黒沢清監督「トウキョウソナタ」という映画の「月の光」を弾くシーン。その映画も心を強く動かれる素晴らしい作品だと感じたので、機会があれば書いてみたいと思っています。

 

今回はドビュッシー「月の光」を
心地よい眠りのお供に
ぜひ聴いてみてください☆

 

本日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。

とうきょうさんぽ「エコな派遣労働者」park8

 

こんばんは、しがです。

立川のIKEAに買物に行ったときのことです。

多摩モノレール沿いにピクニックに最適そうな草っ原がありました。

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そこにはレジャーシートを敷いた人々ではなく、ヤギがいました。

こんな街中でヤギを放牧させるなんて、イキだなと思いましたが、

どうやら、ヤギさんたちは立飛ホールディングスの総務部に所属している会社員だったのです。

業務は除草。

食べることが仕事。

人間がおこなった場合の人件費、電気代など、経費を節減できる。

なによりも良いのは、

ヤギは草を食べて、消化して、そんなに大きくなく臭くない糞を排出する。

その糞は土となる。

ヤギは草を食べて生きれる。

ヤギの食べて生きるという自然な行為が、人が作業した場合の草の処理という手間をおもいっきり省いてくれる。

しかも、ヤギの草を食べている姿を見て、癒される人もいる。

素敵なエコの連鎖だと思って、いたく感動しました。

しかし、近い将来、この土地には商業施設が建つそうなので、ヤギの仕事を見れるのもそう長くはありません。

ヤギたちは、牧場や瀬戸内海の島などからやって来てるので、もとの場所に戻っていくだけ。

故郷の草と立川の草、どっちが美味しいんだろうか?

こんばんは、関沢です。
今回のテーマは、残8匹からなかなか進めていない魚です。

血鯛
タイ科の海水魚。体形・体色ともマダイによく似るが、頭部の傾斜が急で、尾びれ末端が黒くなく、えらぶた後縁が濃赤色。秋に産卵する。北海道南部から南に分布。美味。

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10センチもない小ぶりな鯛ですがとても新鮮そうだったので購入しました。

魚の一番好きな食べ方は何と言ってもお刺身です。お刺身は、素材そのものの味が楽しめて、いくら食べても飽きのこない大好物の一つです。そして今回は、白身魚の代表格といっていい鯛のお刺身に挑戦です。

 

結論をいうと、失敗しました。。

 

小さいからと油断していましたが、よくよく考えると硬い鱗を丁寧に取る作業を見落としていました。その鱗に包丁が引っかかり、身は崩れお刺身として食べれる部位はほんのわずかとなりました。

失敗をすることは決していい気分ではありません。

 

それは自分の力不足を直視し、一番好きな食べ方で食べることができず、何より魚を捌く楽しみが苦しい作業となってしまったことが原因です。

 

ただ、結果、あら汁になりました。

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身がたくさんついた中骨は湯通し、流水で冷やし、ぬめりや血合いを丁寧に取り除く。その後昆布、酒、塩、みりん、醤油を入れた汁に入れてアクを取る。鯛の出汁が効いた、あら汁の完成です☆

 

何かで失敗した際は、落ち込む気持ちをいかに迅速に切り替えるかが重要です。結果、今回は美味しいあら汁を食べることができました☆

 

言い換えると、失敗したショックよりも美味しく食べることへの貪欲さがはるかに強かったと言えます笑

 

 

本日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。失礼します。

トラウマ②「アクロフォビア」

 

こんばんは、しがです。

東京タワー、高層ビル、崖、観覧車、吹き抜け横のエスカレーター、

絶対に安全なのに、そこにいるだけで身動きがとれず、すぐにでも落ちるんじゃないかと恐怖を感じます。

高所恐怖症(アクロフォビア)

おそらく、幼少時にヘリコプターに乗った記憶がかすかにあるので、それが原因ではないかと考えています。

 

高所恐怖症に関連した映画を紹介します。

ブンミおじさんの森

(アピチャートポン・ウィーラセタクン監督 2011公開)

冒頭の「森や丘や谷を前にすると、動物や 他のものだった私の前世が現れる」の表示とともに、
暗がりの森の中で前世であろう牛が逃げ出すシーンから物語は始まります。

お盆に親戚や死人が故郷に帰ってくるかのように、
亡くなった妻の妹親子、幽霊の妻、猿の精霊の息子が、ブンミおじさんの家に集まってきて、最後までの時間を共に過ごします。

不思議な前世や突然幽体離脱する難解なシーンはありますが、
「ブンミおじさんの残りわずかな日常」や「タイののどかな田舎の風景」の不変で色彩豊かな断片が、穏やかな気持ちにさせてくれます。

特に、蚊帳の透き通ったピンク、カーテンの薄いブルー、屋外に見える葉っぱの淡いグリーン、蚊帳の中のベッドですやすやと眠るブンミおじさんの妻の妹、窓から差し込む光によって徐々に消えゆく幽霊の妻、
これらが1つの画面におさめられたショットはとても美しく、見とれてしまいました。

この作品は、あるお寺の僧の著書「前世を思い出せる男」から着想を得たそうで、前世がテーマになっています。

自分には前世の記憶は全くありません。

もし、自分に前世があるとすれば、冒頭のシーンの言葉をかりると、こういう解釈ができるのではないかと思いました。

「高い場所から見下ろす景色を前にすると、動物や 他のものだった自分の前世が現れる」

「前世で高所に悪い因縁があり、それを思い出すことで、高所に恐怖を感じる」

 

最後のシーンで、タイのバンド
「Penguin Villa」の「アクロフォビア(高所恐怖症)」が流れます。

高所恐怖症と恋のドキドキ感をかけあわせたポップな曲。

まさに、つり橋効果。
高所恐怖症の自分だったら、簡単に混同するでしょう。

ナス

こんばんは、関沢です。

今回は最近よく食べている「ナス」についてのブログです。

※ウィキペディア抜粋
原産地はインドの東部が有力。その後、ビルマを経由して中国へ渡ったと考えられている。中国では茄もしくは茄子の名で広く栽培され、日本でも1000年以上に渡り栽培されている。実の味から「中酸実」(なかすみ)が語源とされる。夏に実がなるので「夏実」(なつみ)と読んだが、それが訛って「なすび」(奈須比)と呼ばれたとする説もある。室町時代頃に宮廷の女官が女房言葉として「なす」と呼び、その呼称が定着した。

 

今回のテーマは「米ナス」。

 

米ナスはアメリカのブラックビューティーと言う品種を日本で改良したもので、そんな米ナスを使って今回二つの料理に挑戦です。

 

「米ナスの味噌田楽」

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「米ナスのにんにく醤油焼き」

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どちらもなるべく
手間をかけずにささっと調理。

 

調味料を変えるだけで
全く異なる味覚を手軽に楽しめる
そんなナスの底力を痛感しました。

 

「秋茄子は嫁に食わすな」の意味は

姑が嫁をいびる(美味しい秋なすはもったいないから嫁には食べさせるな)

 

姑が嫁を大切にする(体を冷やす、あるいは種が少ないので子供ができないといけないから嫁には食べさせるな)

 

二つあるようですが
ここ最近連日食べている「米ナス」が
美味しかったことは
まぎれもない事実なので
今回はナスについての想いを綴りました☆

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。失礼します。

トラウマ①「犬」

 

こんばんは、しがです。

今日は最近観た映画を紹介します。

「イヌミチ」(監督 万田邦敏 2014公開)

あらすじは、仕事と恋がうまくいかない編集者の女性と何でも簡単に受け入れてしまう販売員の男性が、あることをきっかけに出会い、イヌと飼い主の関係になって、数日間を過ごすというお話です。

最初はほんの出来心でイヌのフリをしていた女性も日にちが経つにつれて、イヌらしくなっていきます。

特に3日目の朝、飼い主が厚手の布団の中ですやすや寝ている横で、イヌ(女性)が洗濯物カゴやゴミ箱をひっくり返しながら、「ワン」と叫ぶ姿には、発声が本物の犬のように感じとれ、痛快なすがすがしさを感じました。

作品の中で言っています。

「イヌのミチはシンプルで盲目。イヌは寝て、食べて、主人を待つ。」

人間は、多種多様な問題に直面して、苦しくなる場合があります。

そういうときは、このイヌミチの彼女のように寝転がって、物事をシンプルに考えるのがいいと思いました。

一旦ストップして、頭の中を整理して、問題をわかりやすくし、選択肢がたくさんあるときは、少なくする。

「イヌミチ」 72分と尺が短く、苦しみから解き放たれるシーンもあり、スッキリとみれる映画です。

 

小さい頃、自転車に乗っていたら、突然、アキレス腱のところをイヌにガブリと噛まれました。

それ以来、犬が前からやってくると、今でも後ずさりして、イヌのミチをあけてしまいます。

映画の中のイヌになる彼女を見て、飼われることで逆に自由を得られる犬の行動(選択の幅をせばめることで得られる自由なモノ)が透けて見えて、

犬に対する認知が少し穏やかなものに変わったように思えました。

まずは、近所の大家さんのイヌに少し寄りそってみます。

家族

こんばんは、関沢です。
今回は家族について書いてみます。

 

先日お盆のため実家に帰り家族と過ごしてきました。年に数回、実家の神奈川県の田舎に戻り、母、兄、僕の3人で過ごす恒例行事があります。

 

かといって、何か特別なことがあるわけではありません。一緒にご飯を食べ、お酒も少々飲みながらたわいもない話、近況を報告し合い、しばらくするとそれぞれの日常に戻ります。

 

そんな時間を過ごし東京に戻って1人感じたことは、家族と過ごす時間はやはりとても貴重なものだということでした。

 

常に健康を心配し、何も言わずにご飯を出してくれ、別れるときにはまた近々帰ってくるよう念を押す。何年もそういった関係が続き今に至りますが、親は変わらず一貫した態度で接してくれます。

 

 

中には今自分が苦しんでいるのは

育った家庭環境に問題があったこと

両親に十分な愛情を注いでもらえなかったこと
育て方に問題があったこと
家族から心ない一言を言われたこと

などが原因だと感じる方もいるかもしれません。

 

家族との関係性が様々な影響を及ぼすことは事実で、そしてときにそれは自分自身の力では到底覆すことが困難な場合もあると僕は考えています。

 

ただその上でも、家族との向き合い方は「自己理解」に関わる大切なプロセスだと感じます。

 

そして「自己理解」を深めることは、自分自身を「受容」することにつながり、より生きやすい人生を歩むきっかけになると考えるからです。

 

お盆に家族と過ごし、別れ、1人になったときふと感じたことを書いてみました。

 

本日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。では失礼します。